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shortstory3

我が家の歴史

「お前、これ欲しいか?」

親父は僕に向かって皮ケースに入った古いカメラを取り出した。最近、日曜日は嫁と子供を連れて実家に戻ることが多い。もちろん、両親に孫を会わせたいのも確か。嫁がそれを嫌がらないのはどうも食費も助かるし、自分で作らなくてもいいからみたいだ。ちぇ、しっかりしてるよ。もっとしっかり稼いで来いってことかな。

親父は続けて言う。

「この間大里行ってな、爺さんが使ってたカメラがあったんで、兄貴に言ったら、持ってけって言うんだ、それでもらって来た。」 

ふーん、そういうこと。僕はやっと理解した。大里ってのは親父の実家で今は親父の兄さんが住んでる、爺さんってのは僕の爺さん、つまり親父の親父ってことで、もう随分前に亡くなっている。ということは随分昔のカメラだ。親父の小さい頃の写真はみんなこのカメラで撮ってもらったものらしい。もちろんモノクロ写真だ。爺さんは押入れの中で現像までやった趣味人だったと聞く。カメラもサラリーマンの給料の何ヶ月分もする時代で、このカメラも高価なものだったようだ。でも親父や大里のおじさんにとっては何にも興味がないものらしい。古道具でしかないようだ。でも僕はこのレトロなカメラに何故か魅せられた。

「もらうよ。」

僕が親父から受取ると、嫁は意味深なアイコンタクトを送ってきた。すかさず親父が気が付いて、

「愛子さん、大丈夫、こいつは骨董趣味はないから。」

と言ってくれた。
嫁は

「はい。」

と答えたが、帰りの車の中できっちり念を押された。

「ねえ、ガラクタはこれっきりにしてね。それから汚いから子供が触ったりしないところにおいてね。」
「わかったよ。」

僕はため息混じりに答えるしかなった。

もらったものの、どう使うのかも、果たして使えるのかもさっぱりわからない。フィルムカメラは使ったことは無いし、あ、そうでもない、小学生の頃、スーパーで買った撮りきりカメラが唯一のフィルムカメラ経験。ポラノイドはグラフィックデザイナーを目指していた元カノが持ってたのは知っているが、そのくらい。たいして興味がないのも親譲りかな。

僕はカメラの型番やメーカー名と思われるローマ字を拾ってネットで検索してみた。すると今はなくなったK 社のカメラで1958年ぐらいのものだということがかった。ふーん、50年以上前のカメラか、確かに古いな。こっちには修理に挑戦したブログもある、へえー、マニアック人が世の中にはいるもんだ。感心はするが、さて僕がどうしたいのかは僕自身さっぱりわからない。そんな時目に留まったのが「フィルムカメラ修理します」のネット広告の文字だった。僕は問い合わせのメールを打った。

週末、僕はネットで問い合わせたフィルムカメラの修理をしてくれるという店を訪ねた。そこは自宅の一角が工房になっていた。

「どうぞ」

と言われて出された椅子はここの店主が修理の時に使っているらしい椅子だし、そもそも接客を考えた店じゃなく、本当に工房だった。僕が

「これなんですが、」

とカメラを出すと、

「お爺さんは良いカメラをお持ちでしたね、当時は高かったと思いますよ。よく修理に来るカメラです。」

と店主が話を始めた。結局、僕は修理を依頼した。店主の熱い話に負けたのかもしれない、でも、綺麗な写真が撮れるまでサポートしますよ。と言うのが心強かったし、古道具扱いの親父たちやガラクタ扱いの嫁と違い、

「大変良いものです。」

と言い切る店主の話に僕のセンスもまんざらじゃないと思ったのも確かだ。

数週間後、店主からメールが来て、僕は今また工房にいた。

「もう特に問題はありません。大事にお使いになっていたことが良くわかります。」

と店主が話し始め、フィルムの入れ方、絞りとシャッタースピード、フィルム感度、ピントの合せ方を説明し、実際やって見せてくれた後、僕がうまく出来るようになるまで何回も繰返し教えてくれた。しかし、写真を撮るためにこんなにたくさんのステップがあるなんて思わなかった。何しろ僕はモノクロでしか撮れない昔のカメラだと思っていたほど何の知識もなかったのだ。

うちに帰ると娘がシャボン玉がやりたいと言う。天気もいいし、公園に連れて行ってこのカメラで写真も撮ろう。この子が大きくなる頃にもきっとこのカメラが使えると思う。

ひい爺さんのこのカメラが、、、フィルムカメラってほんとにいいな、家族の歴史をつないでいく。




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